Wednesday, 7 December 2016

カスペーリアに戻ってきた。SIAMO TORNATI A CASPERIA - A Guest Post in Japanese by my Friend Yuki Saito


①SIAMO TORNATI A CASPERIA...

カスペーリアに戻ってきた。二度目は一度目よりも素晴らしかった。こんもりとした丘に建つ町がどんどん大きくなる。私たちはカスペーリアとの久しぶりの再会を車の後部座席から果たした。思いもよらない出会いがあり、私たち二人はその時自家用車に相乗りさせてもらっていたのだった。




ポッジョミレット駅でバスを待っていると、西洋人の家族が時刻表を見に来た。会釈を交わすと、自然と会話が始まった。向こうは何かピンと来たようで「カスペーリアに行くの?」と聞いてくる。そうですと頷くと車で一緒に送って行ってあげると申し出てくれた。親切である。次回はバスで来たいからと時刻表を確認しに来たそうだ。小学生の男の子と、野球帽が似合っているお母さんと運転手はおじいさん。カスペーリアで留守番をしているお父さんを加えた四人でカスペーリアにのんびりと長期滞在しているという。拙い英語で色々話しをする。窓の外はサビーナの緑が豊かに広がっている。石造りの古い家がぽつんぽつんと建っている。

普段ロンドンに住んでいるという彼らは、日本にも来たことがあり、日本のことがとても好きなようだ。「東京都と京都に行きました」「私もイギリスには是非行ってみたいと思っているんです。きっと行きます。また日本に来て下さいね」

カスペーリアへの道すがら、思いがけなく日英の交流が進んだ。この様な出会いは旅人の心を励ましてくれるし、滞在中サビーナの地の様々な人からこういった友愛の情を感じることが出来た様に思う。

流れる車窓の景色を横目で見ながら、私は再びこの地を訪れることが出来た喜びに胸を踊らせていた。そしてこの地と縁を持つことが出来た不思議さを感じていた。





②James Johnstoneさんとの再会



城壁で降ろしてもらい一家と再会を誓い、私達はカスペーリアの門をくぐった。起伏に溢れるカスペーリアは階段の町だ。車も入ることは出来ない。歯をくいしばりキャリーケースを運ぶ。昔はロバが運搬用の労働力として使われていたそうだ。不便に思われるかもしれないし、現に重い荷物を運ぶのは大変労力のいる作業だった。しかしこの難儀に思われるところが、カスペーリアのの素晴らしさを生み出しているのかもしれない。この町に排気ガスの臭いは無いし、ねこたちは気ままに散歩している。




階段をしばらく昇り、息を切らし、Osteria Vignaのテラス席に目をやると、素敵な笑顔が私達を待っていてくれた。このブログの執筆者であるJames Johnstoneさんとの再会である。まさかVignaで待っていてくれるとは思ってもいないことで、とても嬉しい驚きだった。今回のカスペーリアでの滞在では、ジェームズさんに本当にお世話になった。当人を前に賛辞を書き連ねるのは不粋であろうから、本当に素敵な人で感謝、感謝である、とだけここに記させていただこう。ジェームズさんありがとう。  

Vignaのスプマンテで乾杯し、一息付く。晴れた日、Vignaのテラス席でこのお酒を飲むと、スプマンテはこの様に味わうべきお酒なのかもしれないなと思われてくる。乾いた喉が炭酸で心地よく刺激され、体をめぐり、イタリアの空に溶けだして行くようだ。グラスを傾けながらJamesさんにサビーナ地方を楽しむ為の様々な情報を教わった。

まず最も旅行者が注意しなければならないことは移動手段である。自分たちで車を運転し、移動出来るのが一番望ましいだろう。隣町を行くことを考えた場合でも、徒歩ではかなり時間がかかり現実的ではないし(特に夏の厳しい日差しの下では)、バスの本数がとても少ないからだ。海外でのレンタカーは私達には敷居が高く感じられ、今回は主にバスでの移動となった。バスは主に、住民の方々の通勤用に走っている様で、また乗ってみて分かったが、曲がりくねった道が多く、運転は大変だろう。バスの本数が少ないのも致し方ないのかもしれない。その分観光地化されていないイタリアを楽しめる。

ウェルカムスプマンテを飲み終えると、ジェームズさんがご自宅での昼食に誘ってくれた。思えば朝食を食べたきりである。願ったり叶ったりの申し出に快諾し、Vignaを後にした。





③ジェームズさんとの昼食、そして買い出し

ジェームズさんの案内でカスペーリアの階段を上がる。カスペーリアの階段の幅はそれ程広くない。ロバサイズである。町の人とすれ違う時に距離が近くなり、自然と挨拶の言葉が口に出る。町を歩くと色々な人と親しくなっていけそうである。滞在中、窓から顔を出した女性に話しかけられ、会話が始まったこともある。





素敵な小さな赤い花が壁を飾っているジェイムズさんのお家に到着した。そこには私達二人を歓迎してくれた新しい友達が待っていてくれた。スモーキーである。スモーキーはジェイムズさんが長年大事にされているねこだ。本当に可愛い。日本にいても、スモーキーはどうしているかなと思い出すほどだ。



さて昼食である。特に印象に残ったのはトマトだ。イタリアのトマトは色が鮮やかで、その味もまた鮮烈である。そのトマトを焼いたパンに載せるクロスティーニは、あるだけどんどん食べてしまいそうであった。美味しいものには自然と手が伸びてしまう。ジェームズさんに伺ったところ、今食べているトマトより10倍もおいしいトマトがあるという。ジェームズさんのお家にはこの後何度もお邪魔させていただいき。心のこもったおもてなしをいただいた。深く感謝しています。

宿に戻った。楽しみにしていたアリメンターリ、食料品店に私達は向かうことにした。

コナッドは広かった。日本でPietre di Aspraのロベルトさんとフランチェスカさんにメールで教えていただいた時に勝手な想像をしていた。もっともっと小じんまりとしたお店だと思っていたのだ。しかしそれは大きな間違いだった。食料品だけではなく、生活雑貨も一通り揃っているお店で、カスペーリアの毎日には欠かせないお店なのかもしれない。料理器具や歯ブラシ、ペットのエサ、色々なものが売っていた。

Conad マーケットの入口は銀行の左側に見えます


日本のスーパーと比べると、お店の照明は少し暗かったが、働いている人の表情は何倍も明るい。ほとんどが常連客なのだろうか、お店の方と楽しそうに話しながら買い物をしている。私達も日本から覚えてきたイタリア語でお店の方に話しかけ、サラミ、トマト、オリーブ、オレンジ、卵を購入出来た。オリーブは様々な種類のものを少しずつ入れてもらった。Un po' un po' un po'! 店員さんの笑顔とともに、少しという意味のun po'という単語を忘れることはないだろう。この地方を旅してみたい方は簡単なイタリア語をいくつか頭に入れるか、旅の指差し帳の様な会話フレーズが載った本を持って行くとこをお勧めする。買い物や食事をするたびに、新しいイタリア語を覚えていける。英語だけで会話をするよりも、下手でも良いからイタリア語でも話しかける方が良い。明らかに心を開いた表情を見せてくれるからだ。滞在がより魅力的なものになるだろう。

翌日の朝食の材料も購入出来たことだし、宿へとゆっくり向かった。

 
④ジェームズさんとの夕食

帰り道に夕立にあった。幸いにしてあまり濡れることなく宿についた。少し気温が下がり、過ごしやすくなった。後で聞いたところ、久しぶりの雨だったようだ。 

イタリアでは雨にあたった花嫁には幸運が訪れるという。私はイタリアで雨にあうと、自身の結婚式を思い出す。縁あって私達は二月にカスペーリアで結婚式を挙げたのである。その日も雨が降った。記念写真をカメラマンのルイージさんと撮りながら、Vignaに向かった。その時にジェイムズさんと初めて出会ったのだ。確かに雨にあたった花嫁には幸運が訪れるのかもしれない。





ジェームズさんのお家に着いた。テラス席で白ワインとオリーブで乾杯する。スモーキーも夜風にあたれて気持ちが良さそうだ。夕方から夜になる、ほんの短い間が私は好きだ。昼間の活動の充実感と、これからの夜への期待感が白ワインによって解け合わさっていくようである。日本での生活のテンポとは違うゆったりとしたリズムに乗って、夕食の準備が進んでいく。パンツァネッラとインゲン豆の炒め物、そして野生のアスパラガスのパスタがテーブルに並ぶ。ジェームズさんの作る料理は最高だ。野生のアスパラガスを初めて口にした。一般的なアスパラガスよりもかなり細く、つくしのようである。料理の味をとても豊かにしてくれた。パスタの形も初めて口にするもので、味がよく乗り、軽く、食が非常に進んだ。イタリアを旅すると、食材が豊富で美味しいものに囲まれてしまうから、ウェストが少しきつくなる。だがそれは幸せな時間を過ごした結果なのだから良いではないか、と思う。そして満腹でもう食べることが出来ない自分の胃の小ささを少しうらむのだ。

会話も弾み、満ち足りた気分で頬を緩ませていると、ジェームズさんが食後酒を出してくれた。今回のカスペーリアでの滞在における収穫の一つは、食後酒を知ったことかもしれない。この楽しみを私は今まで知らなかった。




色鮮やかな瓶が机を飾った。オレンジ、緑にビンサント。グラッパの様なお酒を想像していたが違った。アルコール分は強いが、オレンジはほんのり甘く、緑色のお酒は薬草、ハーブの味、ビンサントもとても口にあった。胃がきゅっと締まり、食事に素敵な幕を降ろすことが出来た。








スモーキーに挨拶をして、ジェームズさんの家を後にする。カスペーリアの夜は本当に静かだ。夜中にふと目を覚まし、窓を開けると月がとても美しかった。

第一日目完(二日目に続く)





[美味しい朝食]

カスペーリアの朝。とても良い目覚めだった。窓から顔を出して深呼吸する。空気が本当に美味しいことが分かる。木や草、お花、まわりの緑のにおいがして、元気になる。体から力が沸き上がってくるのを感じた。

昨日コナッドで購入した食材で簡単な朝ご飯を作った。Pietre di Aspraにはキッチンと調理器具、オリーブオイルなどの調味料が備えられていて、滞在中楽しく料理が出来た。

メニューはパンとトマトのサラダ、オムレツ、オリーブ。特にオムレツの卵の味は瞠目に値するものだった。卵の黄身はまるで梅の実の様にゴロンゴロンと立派でしっかりしていた。お皿に盛ったオムレツからはいかにも美味しそうな香りがし、とても濃厚な味がした。卵一つでイタリアの豊かさを感じられた様だった。ごちそうさまをし、食材に感謝をした。カスペーリアでの二日目がはじまった。

[ルイージさんとの再会]

今回の滞在の楽しみの一つは、ルイージさんとの再会だった。ルイージさんは、私達の結婚式の写真を撮影してくれたカスペーリアに住んでいるカメラマンの方である。少し固くなってしまっている私達を、明るい人柄でリラックスさせてくれたルイージさん。

おかげで結婚式当日はとても楽しく、和やかな雰囲気で撮影が出来たのだった。アルバムの撮影が、結婚式でのとても大事な思い出の一つとなった。

日本からのお土産を手に、ルイージさんのスタジオを訪ねることにした。カスペーリアの門を出て、教会の横の道を少し上ったところにルイージさんの素敵なスタジオはある。



結婚式当日、撮影が完了すると、私達の出発に間に合う様に走ってスタジオに戻り、アルバムの作成作業を眠らずにしてくれたのだった。ルイージさんありがとう。


結婚式以来の再会に少し胸を高鳴らせてスタジオに入ると、ルイージさんと弟のピノさん達がとても温かく迎えてくれた。お土産に持参した麦酒もとても気に入ってくれた様だった。お返しにとカスペーリアの写真をいただいた。今、額に入れて自分たちの部屋に飾る準備をしているところだ。

スタジオにいる皆は、私達がサビーナ地方を楽しめているか、どんなところに行ってみたいのかを、とても気に掛けてくれている様だった。
ファルファ修道院に行ってみたいと伝えると、バス会社の友人に電話してくれたり、時刻表を熱心に調べてくれ、大きな助けとなった。(ファルファ修道院へは三日目に訪れる。)

四日目の夕方に今回の記念に写真を撮ってもらう約束をし、スタジオを後にした。

Roccantica この写真は、Giorgio Clementi様の親切な許可を得て使用されています 

[ロッカンティーカ散策と素晴らしい夕食]

Vignaで昼食を食べ、カスペーリアの周りを散歩した後、ジェームズさんとロッカンティーカへ向かった。町を散策し、トラットリア・デル・コンパーレで夕食をいただく計画である。

カスペーリアはこんもりとした丘に出来た町であり、一方ロッカンティーカは山の斜面に沿って出来た町である。カスペーリアからロッカンティーカは目視出来る。お互い隣町として意識しながら様々な時代を生き、そうした日々の痕跡を色々な場所に残してきたのではないだろうか。

ロッカンティーカの町の入り口に着いた。斜面に沿って出来ているので入り口は一合目といった感じだ。



奥の方に時計台がある。その下の碑は第二次大戦で犠牲になったロッカンティーカの方々の慰霊の碑だそうだ。行きの飛行機でヴィットリオ・デ・シーカ監督の『ひまわり』(『l Girasoli』)を見たこともあり、思うものも深かった。



しばらく階段を上がって行くと、ロッカンティーカの教会があった。鐘の音色は教会によって様々だそうだ。イタリアの人々は町の教会の鐘の音が聞こえる範囲が自分たちの地域だと感じるそうである。教会の存在がイタリアの人々の心の中でどの様な存在であるか、少し理解出来た気がした。小さな頃から慣れ親しんだ鐘の音はその町で育った人にとって自分を形作ってきた特別なものの一つなのかもしれない。『ジョンの魂』というジョンレノンのアルバムは鐘の音から始まったことを思い出した。東京という都会で生まれ育った私に、そういったものはあるだろうか。
サビーナ地方を旅することで、より自分自身を省みていきたいと思った。東京に住むと世界中の多種多様なものを食べたり、見たりすることが出来る。しかし、どこか自分自身が漂流している様な感覚を持つこともある。サビーナ地方の人々は自分自身の地域の人々やものと、とても温かく結ばれているように思う。イタリアの方々の生活から学ぶことはとても多いと感じた。




夕日に照らされた美しいロッカンティーカの町を楽しく歩き、Trattoria del Compare に到着した。ここでの食事はトリップアドバイザーに詳しいレビューを記した。



↓レビュー

[ロッカンティーカは楽しい街です。
西に傾く太陽がほおずき色に家々を染める、その中を私たちは人々が積み重ねてきた日々を感じ、陽気な足取りで会話に花を咲かせ、Trattoria del Compareに向かいました。

お店の方々にとても温かな歓迎を受け、席に座り、キリッと冷えた白ワインで喉の乾きを癒やせば、食事への準備は万端です。



















アンティパストは四皿、プリモピアットはラビオリ、



チコリのコントルノとセコンドピアットは豚骨付き肉。皆で思い出に残る食事が出来ました。



シェフのサルヴァトーレさんの立ち姿や表情からは料理への誇りと情熱を感じ、そこにイタリア語で言う”bello”を見た様に思います。またサルヴァトーレさんがおっしゃっていた“Solo sale”という印象に残った言葉があります。塩だけという意味だと思いますが、私には塩だけではない、目には見えない何かが、サルヴァトーレさんの料理にはあると思いました。素晴らしい食材と、焼き加減や切り方、長年培ってきた料理の知識、そして最後にふりかける“Solo sale”が一体となり、Trattoria del Compareの料理は私の心を打つのだと思います。一皿一皿はシンプルであるがしかし、どこまでも豊穣、複雑、深遠です。口にするとそこにイタリアの人々が何世紀にも渡り耕してきた大地への畏敬と豊かさを感じることが出来たように思います。
人参は確かに人参の味がしました。しかし、その味は今まで経験したことのない鮮やかさをもって私に迫ってきました。またラビオリはどこか懐かしい子ども時代を思い出す味がしました。
私はそこで日本のお米に思いを馳せました。ラビオリと米はもちろん違うものですが、そこに人々を育んでいく何かを感じたのかもしれません。何度も食べ、自分の中に沁み込ませていきたい味でした。
食事が終わると、サビーナにはもう夜の帳が下り、宿に戻った私たちの傷一つない完璧な一日は完結しました。
今、日本で現地の地図を広げ、次の旅の計画を立てています。もちろんロッカンティーカには、大きな印を付けるつもりです。]



私達は最高の夕食をいただくことが出来た。オーナーのサルバトーレさんに挨拶をしカスペーリアに戻る。美味しい食事をありがとうございました。

夜のVignaとその前の広場では多くの人が夜風を楽しみ、楽しげな雰囲気で会話をしていた。ここで一日の締めくくりにグラッパを飲んだ。日本には町に広場をもうける伝統がないので、この様な雰囲気は新鮮でとても居心地が良かった。自分の住んでいるところにも、少し足を止め休憩したり、知人と出会い話せる場所があれば、どんなに楽しいことだろう。ついに明日はファルファ修道院へ行く日である。バスに乗っての遠出だ。明日の予定を相談しながら、帰路についた。

(二日目完)


(1)ポッジョミレット

頭をしっかり前に向け、手すりをぎゅっと掴む。視線は次々に訪れるカーブを追う。道は蛇の様にぐにゃぐにゃと曲がり、車内はさながら軽いジェットコースターの様だった。
しかしサイドミラーに写る女性運転手さんの表情は真剣かつ自信にあふれ。私達は安心してバスの揺れに身を委ねることが出来た。

三日目の朝、私達はポッジョミレットに向かうバスに乗っていた。カスペーリアからバスでポッジョミレットに行き、そこでバスを乗り換え、ファルファ修道院へ向かうのである。

イタリアでバスに乗るのは初めてのことで、車窓から見えるサビーナ地方も美しく、快適とは言えないものの、車中はとても楽しかった。ジェームズさんがファルファ修道院の歴史を教えてくれ、貴重な勉強になった。カール大帝もファルファ修道院を訪れたことがあり、玉座が置かれた場所が残っているという。運転手さんの確かなハンドルさばきで、ポッジョミレットには三十分ほどで到着した。



ポッジョミレットはこの辺りでは一番大きな町で毎週市場が開かれているそうだ。ファルファ修道院へのバスにはまだ時間があるので、町を散策し昼食をいただくことにした。ジェームズさんの案内で散策をスタートした。この町は道も広く車も目立つ、お店も多いし、とても賑やかだ。



蛇行続きの隘路を走ってきて到着した町のようには思われない。侵略者から身を守る為に、この様な所に町を建設したのだという。



昔は、水を得たり、生活必需品を運び入れるのも大変だったのではないだろうか。今では多くのねこ達が町の各所でお昼寝をしており、平和そのものだ。何軒かのお店に入り、オリーブオイルとお塩、サビーナ地方の地図と歴史の本を購入した。オリーブオイルはお土産として非常に喜ばれた。八百屋さんの店先を覗くと、見たことも無いほどに色の濃い野菜が、所狭しと並んでいた。色や形、大きさがとても野性的で食べたらさぞかし美味しいだろうと思う。イタリアの太陽に映える強烈な色彩だった。ここでは食事と幸せは同義に違いないという思いが日々確かになる。

ポッジョミレットではのんびりしたイタリアの人々の日常の空気、時間の流れを感じることが出来たと思う。健全で堅実、爽やかな街という印象を持った。ジェームズさん行きつけのピザ屋さんで昼食を摂ることにした。ファルファ修道院への腹ごしらえである。お店に入ると、ショーケースの中に様々な種類のピザやお惣菜が並び、どれも魅力的だった。

私は丁度焼き上がったモッツァレラと生ハム、トマト等が載っているものにした。



パン自身に深みのある味わいがあり、揚げ物もぱくぱくと平らげた。とても美味しかった。ジェームズさんの御蔭で滞在中は美味しいものを沢山食べることが出来た。腹ごしらえも済み、バス停までジェイムズさんに案内していただいた。ジェイムズさんとはこのバス停でしばしのお別れだ。ファルファ修道院に向かうバスが来た。




(2)ファルファ修道院

到着すると、修道院も周囲のお店も扉を固く閉ざしていた。丁度お昼休みの時間だったのである。人も全く出歩いておらず、建物の中でじっと静かに休息をしているようだ。日光と日陰のコントラストが強烈で、じりじりと日差しが周囲を焼く音が聞こえる様だった。



通りの向こうから犬が一匹一心不乱に走ってきたが、私達のことなどまるで見えていないかの様にどこかへ走り去ってしまった。太陽も真上で動かず、時間が止まってしまった様な、ジョルジョ・デ・キリコの絵に似た不思議な感覚をもった。

シエスタの時間を初めて体験したが、この様な強烈な太陽の下では、休息するという選択肢を採らざるをえないのだろうなという印象をもった。



この日差しの下で活動するのは、肉体にとってかなり過酷なことだと思う。開館時間まで貴重な時間を過ごすことが出来た。



ファルファ修道院に入れる時間が来た。ガイドの方と一緒に修道院を見学する。ガイドはイタリア語で進んだ。特に印象に残ったのは写本だった。修道士さんたちが一生懸命写した本は、挿絵や文字の一つ一つがとても美しかった。教会に行くと聞いていた通りにカール大帝が座った場所があった。また大きな油絵も見応えがあった。



もっとじっくり見学をしたかったのだが、帰りのバスが迫ってきていた。ガイドの方や修道院の方にお礼を言い、足早に停留所に向かった。バスを待ちながら、ぼーっとファルファの風景を眺める。すると「夏草や兵どもが夢の後」という芭蕉の句が思い出された。

空が少し暗くなり、ぽつりぽつりと小粒の雨が降ってきた。バスに乗ると雨は雹に変わり、フロントガラスを激しく叩いた。

帰りは行きとは違う道でカスペーリアを目指す。電車の乗り継ぎもうまくいき、無事カスペーリアに戻ることが出来た。
ファルファ修道院には是非また行こうと思う。

Sunday, 24 July 2016

SABINA'S TALENTED YOUNG FILM MAKERS FLAUNT POGGIO CATINO'S DARK SIDE in "LA DAMA" and "LA BELVA"

Photo of Catino and its Lombard tower - Courtesy of Giorgio Clementi

With its two castle ruins and an impressive Lombard-era watch tower that dominates this section of the Tiber Valley, there is probably not a more evocative hill town in the Bassa Sabina than Poggio Catino. Our love affair with this jewel of a town began in March of 2012 with our first visit there. We had the great fortune to be taken on a walking tour of the town with renowned photographer Giorgio Clementi. If you are interested to read my original post concerning our visit with Giorgio, here is the link.

Since our original escorted history walk with Giorgio we have had the pleasure of  visiting Poggio Catino many times, and no matter how often I visit, my original fascination with and appreciation for the town has never diminished... 

But is not just the town's look that is enchanting... I have to say it is the town's "view" and the delicious things that you can eat and drink while you enjoy Poggio Catino's view of the Tiber Valley that make this town so special. 



Bar C’è, besides serving some of the best food in the regionI had the best fish I have ever eaten in my life outside of Japan hereand very generous drinks, has perhaps the best panoramic view of the Tiber valley of any restaurant in the Bassa Sabina. When there is no Orata (gilt-head sea bream) or Tuna on the menu I always opt for their pasta all'Amatriciana, a traditional Sabine recipe. Bar C’è's pizza is also amazing... I would have to say that some of my happiest moments here in Italy have been made while I have been eating and drinking with friends here. 


View of Catino\s Castle and pentagonal Lombard watchtower - Courtesy of Giorgio Clementi

Yes, Poggio Catino and sleepy smaller Catinothe older original section of town perched on vertiginous edge of a limestone karst formation cliffseem idyllic to the eye of the casual visitor. However, there is a bloody dark history that courses like a forgotten, ancient, underground river through the stones beneath the breathtaking views and tasty offerings of the bar.


Aperitivo time at Bar C’è Catino


 Not 100 paces from my favourite place to drink an Aperol Spritz is the main gate of Catino. Just inside the gate is a large door that leads to a room in which a grizzly assassination took place. The bloody remains of Pierluigi di Sant'Eustachio, the hated Duke of Poggio Catino, who was hacked to pieces by his unhappy subjects in that room, were displayed for weeks in a metal cage just outside the gate in a spot on the wall in plain view from where now stands the client-filled bar.  

But even more famous than this grizzly historical event is the mystery of La Dama Biancathe White Lady... a female skeleton discovered in 1933, chained to a wall and sealed up in a stone chamber in Poggio Catino's Palazzo Olgiati.


    
La Dama Bianca is a true enigma. No historical records concerning this event have been found. Various theories as to who this unfortunate person was exist, but no one knows for sure... Was she a Colonna prirtransoner or hostage held and then cruelly killed by their enemies the Orsini who ruled Poggio Catino between 1484 and 1525? Or was she an inconvenient wife or mistress of some ruthless castelan? Whoever she was, La Dama Bianca's skeletal remains, her iron chains, the terracotta oil lamp and water jug that were walled in with her and even a section of the castle walls that surrounded her were carefully removed and transferred to the Museum of Criminology in Rome. She is the first display to welcome you after you have paid your 2 euro entrance fee.


Scriptwriter Manuelle Grilli, Director Manuel Montanari, and actor Geronimo Brengola

In 2014, a young filmmaker and director from Poggio Catino named Manuel Montenari, with the support of the Comune of Poggio Catino and the collaboration of the local youth committee, created a short historical drama, a fictional account of the mystery, called La Dama.




The script for the film was written by Manuele Grilli. Our friend, Giorgio Clementi, worked as Director of Photography, while the editing was handled by the film's Executive Producer, Fabrizio Fazio. 


Director Manuel Montanari and Directory of Photography, Giorgio Clementi hard at work - Photo courtesy of Manuele Grilli  

This film offers one of the explanations of the who, when and why of the Dama Bianca. The story takes place during a time when the Colonna and Orsini, two bitter rivals among the leading noble houses of renaissance Italy, were involved in a prolonged bloody feud. A beautiful young Colonna noblewoman held captive by the Orsini ruler of Poggio Catino falls prey to the jealousy of the ambitious mistress of the Castelan when the Castelan falls in love with the victim. The short was filmed in several locations in and around Poggio Catino and Catino using local amateur actors.




The film was launched in Poggio Catino on August 15, 2014. The success of this first film sparked interest in making another historical short film based on an even bloodier, and this time well-documented, dark episode in the history of Poggio Catino: the story of the rise and fall of La BelvaThe Beast, in Englishthe tyrannical Pierluigi di Sant'Eustachio, oras he demanded to be knownAeloisius Secundus Dux Catini. 

Mock up of the promotional poster for La Belva - Courtesy of Manuele Grilli


As you can guess by the title, Pierluigi di Sant'Eustachio was in no way a sympathetic character. It is said that he came to rule the castles and lands of Poggio Catino, Catino and Tancia through the murder of his father, followed by the murder of one brother and the imprisonment of another. Once he had established his absolute rule over his territory, he exercised his power to the extreme, confiscating the lands and goods of his richer vassals at whim, and forcefully kidnapping and having his way with any woman or girl in his territory that he took a fancy to. There was no resisting him. Those that tried to stand up to him were beaten up, imprisoned, or often outright killed. Things got so bad that eventually a large part of the population of his lands fled across his borders to Poggio Mirteto and other neighbouring towns to save themselves.



A scene from La Belva filmed at Sant'Agostino Church - Courtesy Giorgio Clementi

I first found out about this second film project by chance in October 2014. A friend of mine and I were taking a walk around Poggio Catino trying to build up an appetite for a lovely pasta lunch at Bar C'è. We were exploring an area of Poggio Catino's old castle, looking for the spot where La Dama Bianca had been discovered, when we bumped into Manuele Grilli, just outside the Comune office. This was a happy coincidence for a number of reasons as we discovered, through talking about La Dama, that not only did we have a number of friends and acquaintances in common, including Giorgio Clementi and Manuel Montanari, but that Manuele had been another key collaborator in the La Dama project, as he had written the screenplay.


Manuele Grilli, showing us the section of the Castle wall where the Dama Bianca was found in 1933

Manuele very kindly took my friend and I on a tour through the Comune offices, which in fact is what is left of the noble residence inside the old castle. Among the sumptuously frescoed and decorated rooms there were many that had been used as a film set for La Dama, some that were even still being used to store a number of the props from the filming.


Ceramic props for La Dama

Manuele and I exchanged contact information and "friended" each other on Facebook. In subsequent messages he told me about the upcoming second film project. I told him that I would be interested in writing something about the film for my blog... Then Manuele asked me if I might be interested in a small part of the cast.

Of course I was intrigued with the idea. It was a lovely gesture on Manuele's part, but I didn't really think too much about it until May of this year whenout of the blueI received a message from Manuele asking if I was still interested in being involved. 


Article in Il Messagero newspaper about the filming of La Belva 4 may 2016

Well how could I pass up an opportunity like this? Long story short, what I thought would be an "extra" part, turned out to be a speaking part... Due to a scheduling conflict, the original person who had agreed to play my role had to duck out... Instead of a native Italian speaker, a Canadian with a very questionable Italian accent, took the role of a father whose young daughter was taken away forcibly by La Belva's evil henchmen, because, "Il Conte ha bisogno di donne questa sera!"

It felt a little strange parachuting into the cast towards the latter part of the filming, but everyone was very welcoming... It turns out that many in the cast were friends of friends, so I was not a totally unknown commodity. Everyone was friendly.

I participated in an afternoon of rehearsals in which I met the people who I would be doing my scenes with: Daniela Schiavona, who played the role of my lovely wife, 


Hamming it up in a selfie with my lovely "wife" Daniela

Sofia Placidi, who played the role of my beautiful, and therefore ultimately unfortunate daughter,


Me and my "daughter" Sofia on set on the last day of filming at the church of Sant'Agostino - Courtesy of Giorgio Clementi

and Michele Manili, who played La Belva's most evil evil henchman. 

Michele Manili,  a.k.a. Guardia X, at right - Photo courtesy of Giorgio Clementi

It sure was an eye opener being on set. Putting together a production like this takes an awful lot of work, patience, and especially time. There is a lot of waiting around...

By the time I got involved in the filming, most of the scenes had already been shot in the previous weeks. The three scenes that I was involved with were filmed just outside the castle walls in Poggio Catino, and down in the countryside below the hill town beside the venerable Chiesa di Sant'Agostino. 

The speaking scene that I did was filmed, along with a number of others, at night in the dark, in and around the Poggio Catino's castle walls. We all met in the comune office where we each changed into our costumes and then went for make up. 


The talent, busy, and very patient Romina Rosati, our mapeup artist at work

I can't remember when we actually got started filming that evening, but we finished somewhere between three thirty and four in the morning. My scene was filmed nearer the end. 


A to H, my speaking scene, in which my daughter is kidnapped at knife-point - Courtesy of Manuele Grilli


In it two of La Belva's evil henchmen come to our house to take our daughter for a night with the Duke. My three short lines in Italian were:


"Vi prego! Dove la portate? Lasciatela stare!" 

Which  translates:


"I beg you. Where are you taking her? Leave her be!"

To this, Michele, the evil Guardia X draws a knife, pushes me to the ground, and hisses his response: 


"Il Conte ha bisogno di donne questa sera, e ringrazia il cielo che non ti uccida." 


Which  translates:

"The Count needs women tonight, and thank heaven that he does not kill you."


"...E ringrazia il cielo che non ti uccida!"

I don't know how many takes it took. Of course I screwed up my lines a number of times, and there was once or twice where Michele couldn't help laughing... Maybe it was my Canadian accent. Anyway, it was an experience.

I second scene I was involved in was when our daughter returns bruised, disheveled and in a terrible daze the morning after being raped by the duke. The camera was on a rolling track following Sofia as she stumbled barefoot toward Daniela and I. Sofia is so badly traumatised that she does not seem to recognise us. I take hold of her shoulders, look into her eyes and gently shake her while Daniela throws a shawl over Sofia's shoulders.


Photo courtesy of Giorgio Clementi

It was very interesting to see this scene through the camera after it was filmed. It is one thing to be an actor in the scene and see all the rest of the crew, the camera and camera man, the director, other actors in the background when you act the scene, and then when you see it as it was filmed, the framing, of course changes everything.


The director consults his notes

The last day of filming took place beside the grey stone walls of a country church called Sant'Agostino. A number of scenes were filmed there. The one I was involved in showed my family joining a number of other people leaving Poggio Catino for safety in Poggio Mirteto. 

Another scene involved a group of what was left of the leading citizens of Poggio Catino discussing what to do about the terrible situation. Two of them Ludovico and Manfredo agree to make one last ditch effort to reason with the Duke. Each of these men in turn is murdered... 


Photo of Ludovico's drowning courtesy of Giorgio Clementi

Ludovico is drowned in a butt of his own wine, and Manfredo is chocked to death while being force fed by one of La Belva's guards. 

Another key scene filmed that day involved the invitation of three of the remaining townspeople to dinner with the Duke. 


Giorgio Clementi takes some still shots during the scene when the three townspeople are invited to a poisoned dinner

On the menu for these three special guests were poisoned snails and mushrooms. The Duke had caught wind that there was a plot to assassinate him when the plotters were betrayed by an eavesdropping innkeeper. 
   
The plotters' plans are overheard by the evil innkeeper, a friend of the Duke


There are so many plot twists in this story, it is mind-boggling. I won't go any further into the details but suffice it to say, the betrayed plotters are forewarned and survive this attempt on their lives and, 


A toast! Snails anyone? How about those mushrooms, a special treat from my friend, the innkeeper? 
...with their help, La Belva gets what he deserves in the end. I still can't believe that so much of this story, the bloodiest bits anyway, occurred just a hundred paces from my favourite place for an aperitivo... You just don't know, do you?


If the stones of this castle wall could talk...

All in all, this was a wonderful experience for me. I so appreciate being included in this amazing project. Thank you Manuele Grilli (Director), Giorgio Clementi (Director of Photography), Fabrizio Fazio (Executive Producer and Cameraman), and all the cast and crew. You guys are the greatest! 


At the wrap party

I can't wait to see the launch of this film. It will premiere on August 15th, 2016 in Poggio Catino's main piazza. There will be DVDs with English language subtitles for sale... and a special menu of snails and mushrooms! 


Scherzo! Just kidding!  


The official promotional trailer (with English subtitles) for the film is now out! 


I am ready for my close up


I hear rumours that there is a third film in the works... I wonder if they need an extra...



Note: I would like to thank Manuele Grilli and the cast and crew, particularly Giorgio Clementi for the use of many of the photos included in this post.